2011/10/25

style1024

日本美容史


山野 千枝子(1895-1970)
日本で最初の美容師であり日本美容の基礎を築いた。
ファッションモデルの先駆者。





1913年 
ニューヨークに渡り米国女性と日本女性の美容に対する考えの違いを目の当たりにして、美容師を志す。働きながら夜間の美容学校に通い幾つもの美容院で修行を積み、化粧品や当時のニューヨークでも珍しかったパーマネントやマーセルウェーブなどの毛髪術、経営一般についても学ぶ。

マーセルウェーブ
1890年にフランス人のマルセル・グラトーが開発したセット用の
ヘアーアイロンの熱で一時的に頭毛部分に変化を与えてつくったウェーブ。

1922年
帰国後、東京駅前の丸ビルに「丸ノ内美容院」を開業した。従来の髪結いさんではなく、米国式の美容院は大変な人気で「美容院」「美容師」という言葉を日本で初めて使用し普及させた。また、千枝子は美容師の養成やパーマ機の国産化、化粧品の開発などにも力を注いだ。


マネキンクラブ

1929年
マネキンクラブを創設。現在のファッションモデルの前進である。人間モデルの登場は注目を集め、先端を行く女性の職業が誕生した。
戦後、新橋に「山野千枝子ビューティー・サロン」を開店し婦人実業家たちと婦人経済連盟を結成。



1950年
東京高等美容学校を設立。また、東京都美容師組合連合会を結成し美容師の健康を守る為に東京美容国民健康保険組合の発足にも努力した。

千枝子が考えた美とは「精神、健康、調和」の三つの美である。髪型とか化粧という外観的な美しさだけではなく、内からにじみ出る精神美が肉体を美しくする、という心身両面の美容を提唱し続けた。


0 件のコメント:

コメントを投稿