無人島の教会
長崎県・五島列島の北東部に位置する南北6キロ、東西1.6キロの細長い島、野崎島。
1950年代中頃には650人以上が暮らしていたが、高度成長期の集団離村により急激に人口が減少、1990年代には全ての住民が島を離れ現在は無人島になっている。
この野崎島は江戸時代に、禁教令を受け、難を逃れた潜伏キリシタンが多く移り住んだ。
彼らによって造られたのがユネスコの世界遺産暫定リストにも選ばれている「野首教会」である。
設計・竣工はカトリック教会堂の建築を多くてがけた棟梁であり建築家の鉄川与助。のちに日本の教会建築に多大なる貢献をしたとして1959年に黄綬褒章、1967年に勲五等瑞宝章を授与されている。野首教会は鉄川与助の始めの教会建築になる。(鉄川与助自信は生涯仏教徒であった。)
野首教会は無人島となり廃墟と化した集落の中、小高い丘に毅然と建たずんでいる。その姿は圧巻である。
外観は美しい煉瓦造りで正面から見ると西欧の城砦を感じさせ、上から見ると瓦屋根とまさに西欧と日本の文化がミックスしている。教会建築が木造から煉瓦造りに変わる時期の建築物であり、その文化的価値も大きい。
また、この教会は内部もとても素晴らしく、窓にはステンドグラスが施されており、天井はアーチが美しいリブ・ヴォールト形式になっている。リブ・ヴォールトは、ゴシック建築の特徴的な天井形式で、代表的な物としてはパリのサント・シャペルなどがある。
野首教会の歴史は寛政の時代に、当初は木造教会を使用していたが、明治40年に本格的な教会建築に乗り出し、明治41年に現在の形になった。しかし、高度成長期と共に人々が島を去り、教会は無人となり荒れ果て美しかった煉瓦造りも崩壊していた。平成元年に長崎県指定有形文化財に指定され、今は当時の美しさを取り戻している。現在では小値賀町役場が管理しており申し込みを行えば内分を見学する事も出来る。
当時のキリシタン達はどんな想いでこの教会に集まっていたのか、、生まれ故郷を追われ、信仰の自由も奪われ、なけなしのお金を出しあって必死の想いで作った教会。今の時代に生まれた自分には想像する事しか出来ない、
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